Ballett”Die kleine Meerjungfrau”

2018/01/26金 19:30開演 ハンブルク州立歌劇場

Ballett von John Neumeier frei nach Hans Christian Andersen
Die kleine Meerjungfrau


Choreography, Staging, Set and Costumes: John Neumeier

Music: Lera Auerbach 

Conductor:Simon Hewett

Orchestra:Philharmonisches Staatsorchester Hamburg

Cast
The Poet:Lloyd Riggins

The Little Mermaid:Silvia Azzoni

Edvard / The Prince:Carsten Jung

Henriette / The Princess:Carolina Agüero

The Sea Witch:Alexandre Riabko

もしかしたらこれがシルヴィア・アッツォーニの「人魚姫」全幕を観られる最後かもしれない-そう思ったらどうしても観ておきたくなって、水曜にエアを取り、木曜夜には出発、金曜夜の公演を観て・・・日曜朝にハンブルクアウトという、まさに弾丸旅。

もちろんノイマイヤーの代表作といえば「ニジンスキー」だと思うけれど、個人的に最も好きで感情移入してしまうのが「人魚姫」。シルヴィア・アッツォーニがタイトルロールを踊る場合限定かもしれないが。

ストーリーはアンデルセンの人魚姫と同じだが、友人への叶わぬ思いを抱える詩人(アンデルセンがモデル)と、彼が生み出した作品の登場人物である人魚を重ねるところが、さすがノイマイヤー。しかも音楽はレーラ・アウエルバッハよる現代音楽。テルミンの不安定な音色が人魚の揺れ動く心を切なく物語る。2009年の来日公演時、この作品を観なかったら、ここまでハンブルク・バレエのファンにはならなかっただろう。NHKホールで観てあまりに感動し、愛知芸術劇場に日帰りで観にいったっけ。ハンブルク沼に引きずり込まれるきっかけとなったのが、この作品なのだ。

2017年11月にも観にいっており、そのときは2回とも最前列。シルヴィアの人魚に感情移入してボロ泣きだったが、今回は10列。久々に舞台全体を見渡すことができて、ロイド・リギンスの詩人がこんなにたくさん踊っていたんだ、と再認識した。陸で生きられるよう水の衣をはぎ取られる苦しむシーン、切ない視線を向けているのに王子は別の女性に心を奪われる・・・人魚が辛い目に遭うたびに詩人はおろおろするのだが、あなたがそんな物語を書いてるんでしょ!と心の中で毎回腹立ちを覚えてしまう。王子を殺せば海の世界に戻してやると、海の魔人からナイフを手渡されるシーンでも、そのナイフを舞台に持ちだして魔人に渡すのは実は詩人だし。。。

陸上に生きる人間は普通のメークに洋服姿、海の中に生きる物たちは歌舞伎を思わせる白塗りや隈取り、そして長袴のような衣裳。人魚は海の象徴である貝殻を額に付け、その顔には青い線も描かれている。陸の者から見ると異形なのだが、彼女本来の世界である海の中ではそれが自然で、おそらくは美しい。そんな彼女がなぜ、陸の者である王子に恋をするのか? 自らの住む世界を捨てて、自由に動き回れる体を捨てて、不格好な人間の姿になろうとするのか? 王子とは彼女にとって何なのか?

地に着くたびに痛む足。体を優しく包んでいた水を奪われ、ごわつく衣服に身を包み、空気でさえ肌を刺激する。感情を通わせる人のいない絶対的な孤独。それを表現した第2幕冒頭のシーンがすさまじい。上手側に置かれた白い狭苦しい箱のなかにひとりいる、椅子に座った彼女。身じろぎし、周囲を見回し、音楽が進むにつれて動きが激しくなり、最後は体全体が叫んでいるように動く。閉じ込められたここから出して!と助けを求めるように。その動き一つ一つが、バレエの基本的なパ(動き)になっているのだ。

言葉を発することもできず、ただ好きな人を見つめるだけ。いったんは王子を殺して海に戻ろうとナイフを振り上げる人魚。でもどうしても果たせず、ただぽろぽろ泣くだけの彼女を慰めようとふざける王子。人魚を妹のようにしか思っていなかった彼が、そのとき一瞬、彼女の思いに気づきそうになる。が、あえて気がつかないようにしているのか、彼女を子供のようにあしらい、結婚したばかりの妻の元に去って行く。

私たちが生きている世界は、これほどに無垢な彼女を、ナイフを振り上げさせるほどに追い詰めるのか。。。

ラスト、ドレスとポワントシューズを脱ぎ捨て、陸にも海にも属さない、いわば中有のような存在となった人魚と、後ろから彼女を包み込むように立つ詩人、ふたつでひとつの存在が星空に上がっていくシーンが本当に美しい。パンフレットには人魚は救済されたと書かれていたように思うが、人魚を書くことによって詩人が救済された、ということなのではないか。

2009年夏、初めて訪れたハンブルク・バレット・ターゲ(バレエ週間)では、「人魚姫」はソールドアウトで観られなかったが、その後はターゲで人魚がかかるたびに観てきた。サンフランシスコ・バレエのヤンヤン・タンがハンブルク・バレエに客演したとき以外は、タイトルロールはすべてシルヴィア。シルヴィアの人魚は、見た目は少女そのもの。幼い、と言ってもいいくらい。そして異形。驚異の柔軟性と、西洋人があえて白塗りをする違和感が異形性に拍車をかける。人魚の感情や思考回路はきっと私たちと全然違う。そこまで思わせるのに、でも、深い慈愛も感じさせる複雑なキャラクターがシルヴィアの人魚の魅力だと思う。きっとノイマイヤーが想定したより底が知れない存在になっているんだろう。

本当にこれがシルヴィアで観られる最後なのだろうか。願わくば、もう一度だけでも、彼女で観られますように。