東京・春・音楽祭 シンフォニエッタ・クラコヴィア with トマス・コニエチュニー II ~スラヴィック・メロディ――ペンデレツキ生誕85年に寄せて

2018/3/17土 15:00開演 東京文化会館 小ホール
バス・バリトン:トマス・コニエチュニー
指揮:ユレク・ディバウ
弦楽合奏シンフォニエッタ・クラコヴィア

 ペンデレツキ:
 シンフォニエッタ 第3番 「書かれなかった日記のページ」 
 アニュス・デイ(「ポーランド・レクイエム」 より) (弦楽合奏版)
ムソルグスキー(R.クウォチェコ編):「死の歌と踊り」
 第1曲 子守歌
 第2曲 セレナード
 第3曲 トレパーク
 第4曲 司令官

アンコール

マーラー亡き子をしのぶ歌」第3曲 お前のお母さんが戸口から入ってくるとき

-休憩-
ドヴォルザーク:弦楽セレナード op.22
 I. Moderato
 II. Menuetto. Allegro con moto
 III. Scherzo. Vivace
 IV. Larghetto
 V. Finale. Allegro vivace

アンコール

バダジェフスカ乙女の祈り

ペンデレツキ「古い様式によるアリア」

ポーランドが生んだ偉大な作曲家ペンデレツキの生誕85年に、作曲家の故郷であり本人とも所縁の深いシンフォニエッタ・クラコヴィアがお届けする特別プログラム。スラヴ音楽の名曲とともに――と、オフィシャルHPに。昨日のⅠは「マーラーに捧ぐ」と題され、アダージェットと「亡き子をしのぶ歌」、そしてマーラー編曲のシューベルト「死と乙女」という好みど真ん中のプログラムだったが、当初、都合が付きそうになく、Ⅱのみの鑑賞となった。

クラシックは永遠のシロウトなので、ペンデレツキといえばこの曲、みたいなイメージもなく、白紙状態での鑑賞。現存する作曲家ということで、現代音楽寄りだったらどうしようと思っていたのだが、演奏されたのはとてもメロディアスで、ロマンティック、東欧らしい昏さと宗教音楽のような精神性の感じられる曲だった。最初の「書かれなかった日記のページ」ではヴィオラが主旋律を奏でるところが多く、心に染みるような音色が素敵だった。今回のペンデレツキの曲はどれもストーリー性があり、ダンスのシーンが浮かんでくる。この曲で誰か振り付けてくれないかな。ノイマイヤー的な、バレエをベースにした動きで作品を作る人がいいのだが。

コニエチュニーはムソルグスキー「死の歌と踊り」に登場。原曲はピアノ伴奏らしいが、今回は独唱と弦楽合奏のための編曲版。第1曲は幼い子供、第2曲は若い乙女、第3曲は酔っ払いの農夫、第4曲は戦場で斃れた兵士たち、と、4つの死の情景が描かれる。すべて語り部による情景描写の後、死神が言葉巧みに人々を死に誘っていく。俳優を経て声楽家になったコニエチュニーの、演技力溢れる歌がとにかくすごい。新国立オペラ「ホフマン物語」でも4役を見事に演じ分けていたが、衣装もメークもなくても、1曲ごとにまったく違う声音の死神が現れ、熱に苦しむ幼子を看病する母や病んだ娘、貧乏な酔っ払いの農夫、無数の兵士たちの死骸が転がる荒野まで、まざまざと想像させられる。フォルテッシモでは音の振動が私たちの身体に伝わってくるようだった。コニエチュニーが「ファウスト」のメフィストフェレスを歌うなら絶対観にいきたい。彼がやるのにふさわしい、スタイリッシュで凄みのある設定のメフィストフェレスなら、だけど。

後半のドヴォルザーク「弦楽セレナーデ」は、ノイマイヤーの「スプリング・アンド・フォール」に使われていることもあり(第1・4・5楽章を使用)、脳内にはまたダンスシーンが。美しいメロディが、第1ヴァイオリン6人、第2ヴァイオリン5人、ヴィオラとチェロ各4人、コントラバス1人の編成で、豊かに響きわたる。

客席には空席が目立った。どちらかしか聴かないなら、まあマーラープロを選びますよね、普通。でも、ペンデレツキとムソルグスキードヴォルザークというスラヴつながりのプログラムはなかなか面白く、アンコールでの「乙女の祈り」はちょっとあざとかったけれど(編曲もあまり好きではない)、ペンデレツキの「古い様式によるアリア」は美しい曲で、これで締めになったので大満足!