マリア・パヘス&シディ・ラルビ・シェルカウイ「DUNAS―ドゥナス―」

2018/3/29木 19:00開演 3/31土 14:00開演 Bunkamura オーチャードホール

演出・振付・出演:マリア・パヘス、シディ・ラルビ・シェルカウイ
音楽
歌:アナ・ラモン/ベルナルド・ミランダ、アラビア語歌唱/モハメド・エル・アラビ・セルギニ、ピアノ:バルバラ・ドロンシェコフスカ、ギター:ホセ・カリージョ”フィティ”、ヴァイオリン:ダビッド・モニス、パーカッション:チェマ・ウリアルテ

初演:2009年シンガポールダンスティバル

上演時間約80分

 

現代フラメンコを代表する舞踊家マリア・パヘスと、今最も注目される振付家・コンテンポラリーダンサーのシディ・ラルビ・シェルカウイによる80分間のステージ。「DUNAS(ドゥナス)」とは、スペイン語で“砂丘”の意味だそう。このタイトルには「常に風によって姿を変える砂丘のように、自由でありたい、お互い刺激を受けながら変わり続けたい」という願いが込められているという。2009年初演以来、世界各国で上演されてきた作品の、今回が日本初演。「Lamento(嘆き)」と題されたシーンから始まりラストの「El ultimo abrazo de las dunas(砂丘の最後の抱擁)」まで、全15シーンがデュエットで、また1人ずつで、次々に繰り広げられる。

舞台の幕が開くと、ステージには3枚の薄い布が垂らされているだけだった。ステージの後方にスクリーンのように1枚、上手と下手にそれぞれ、客席に垂直に1枚ずつ。照明により砂丘を思わせる美しいオレンジ色に染まっている。音楽が始まり、上手にパヘス、下手にシェルカウイが入り、伸縮性のあるその布を体にまつわらせながらステージを動き回る。互いを探すように。そして中央に歩み寄り、布越しに抱き合うようにして踊り始める。このシーンがまず、泣きたいくらい美しい。メランコリックな音楽、ライティングでオレンジに染まった布。まずは布越しに触れあい、抱き合い、そして布から出した腕だけを絡ませ、触れあわせ、流れるようにふたりは踊る。パヘスがソロで踊るシーンでは、下手に座ったシェルカウイの手拍子の影がパヘスに覆い被さるように大きく映し出される。また、パへスの動きに合わせシェルカウイが描く砂絵を布のスクリーンに大きく映し出したり、光と影を操って、布しかないステージを砂丘に、ストリートにと変化させていく。三枚の布を舞台面に並行に下ろし、左右からライトを当て、その間を歩き回るふたりの影をいくつも投影して、人々が通りをあてどなく彷徨うシーンを作り出す。シェルカウイひとりの影で、喧嘩をするふたりと仲裁に回る人、3人を演じて見せたり、この人、アイディアが無限に湧いてくる感じがする。

自然が好きで「木になりたい!」というパヘスの動きに合わせ、シェルカウイが砂絵で木を描いていくシーンがとても面白い。シェルカウイ、器用に両手を使って木を描き、そこに太陽や星のような円を加える。次に描いた木の両サイドには男と女を描き、りんごを加え、幹に蛇を巻き付かせる。小さな魚が大きな魚に食われる食物連鎖。子宮と胎児、赤ん坊から少年、成年、老人、そして墓までの人の一生と輪廻。それらを描くたび、シェルカウイは?マークを付け加える。どうして?こうでなくてはいけないの?9.11のWTCジェット機が追突する絵を描いたかと思うと、ときどき砂の隙間から彼自身が顔を出したり。また次のシーンでは、シェルカウイはヘブライ民謡の詠唱を!これがまたいい声で、彼の才能の多彩なことに感動。

通底するのは、マージナルな位置に身を置くものの悲哀?

アラブの影響から生まれた独特の文化を持つスペイン。そこに生まれたパヘスと、モロッコ人の父をもつシェルカウイ。西洋文化のメインストリームから見ると、マージナルなルーツをもつふたり。そんな彼らが灼熱の砂丘というエキゾチックで、でもストイックな風景に身を置き、人間同士が触れあう意味を確かめ合う。

気になったのは、後半に挟み込まれた、暴力を連想させるシーン。パヘスの動きに合わせシェルカウイが何度も倒れ込むのであって、逆でないのが救われるのだが。シェルカウイのインタビューによると、アラビアとスペインの関係を表現しているそう。スペインに溶け込んでいたイスラム文化が、レコンキスタによりアフリカに押しやられていく-ひとつだったものが暴力によりふたつに引き裂かれる。でもやがてゆっくり対立がなくなっていき、ふたりは抱き合う。ふたりの下半身を布でぴっちり包みひとつにして、上半身だけで互いを包み込むように絡み合って踊るのだが、ダンサーとして優れた身体能力を持つふたりなので、その動きのなめらかさ、空間の支配力のすごさが並外れていた。最後、溶け合うように倒れ込んだふたりを、ふわりと落ちてきた布が包み隠して、幕が下りた。

シェルカウイの演出でいつも感動するのが、音楽のセンスのよさ。「アポクリフ」「TeZukA」「BABEL(words)」「sutra」に続き、今回も生演奏。パヘスの信頼も厚いカンタオーラ(歌い手)アナ・ラモンが泣き叫ぶかのように歌い、情熱的なギターが寄り添う。フラメンコとはまた違う哀愁を感じさせるアラブ・アンダルシア音楽の歌が入り、現代音楽で活躍するピアノやヴァイオリンが端正な音を重ねる--様々な背景を持つミュージシャンのアンサンブルが今回も素敵だった。また、セットを振付の一部として取り込んでいることも、シェルカウイの演出の上手さ。すべてのセットに必然があるのだ。上半身を自在に使い、手や腕の表現を重視したシェルカウイの振付も、両性具有的な魅力があって大好き。

でも、いちばん好きなのは、彼の作品の世界観。世界じゅうの劇場から引っ張りだこ。1週間同じ都市に滞在することはないのでは、というくらいのジェットセッターぶり。来シーズンもパリ・オペラ座バレエやロイヤルバレエに作品を提供し、バイエルン国立歌劇場ではオペラの演出を手がけるなど、演出家・振付家として大成功しているはずなのに、彼にはいわゆる成功者のイメージがない。その作品には常に孤独の影がつきまとう。リュックひとつ持って、いつもひとりで、ふらりと移動していそう。デラシネ?エトランジェ?アウトサイダー?そんな言葉が浮かんでくる。

パヘスは50代後半?とは思えないエネルギッシュな踊りで全編を駆け抜けた。シェルカウイは確か今年42歳。2010年「アポクリフ」来日公演のときに比べると、動きのキレは多少鈍っているように思えたが、驚異の柔軟性は健在。フラメンコのステップで踊る姿も楽しそう。初日に2階バルコニー席から全体を見たときには、演出は面白かったもののダンスのエネルギーに欠けるように感じられたが、楽日に1階3列目から見ると、いや、すごい踊ってました! フラメンコは近くから観るものだと実感。